| 足の健康にこだわり続けてできました |
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お陰様で2004年度 ドイツ特許取得出来ました 日本・アメリカ・イタリア特許取得済み 他国際特許取得中 |
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| 武田レッグウェアー株式会社 049-255-5557 |
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| 脳梗塞からリハビリ(ウオーク)へ | ||
| 5月31日(火) | 平成17年5月31日、その時は、突然やってきた。 | |
| NHK、朝の連続ドラマ「ファイト」を見終わってウトウトしていたら、座椅子を倒し眠っていた。 | ||
| 小 1時間して目を覚まし、起きあがろうとしたら、右手がクネ・ツルンと滑ってしまった。 | ||
| ハレ、どうしたのかな?と思って、また、同じように起きあがろうとしてもさっきと同じ。 | ||
| 左手を使って起きあがろうとしたら、身体の右半分がその動作についてこないでいる。 何か、おかしいな?どうなっているの。取りあえず、右半分を引きずりながらトイレに行き左手を使って用を済ませ、それでも、右半分の感覚は戻らないでいた。 (その時は私は、私の右半分を、担当している魂が、私がウトウトしている間に、どこかに遊びに行ったまま、戻っていないのではないかと思っていた。) |
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| お昼時には、冷やしそばを動かない右手も駆使し作って食べた。 | ||
| 相変わらず、右半分は動かないので座椅子に座りながらTVを見ていた。 | ||
| 夕方、洗濯物を2階のベランダに干してあったのでそれをとりに行った。 | ||
| 登る時は、手摺りをつかんで片足を引きずりながらでも上れたが、洗濯物を持って、階段を下りるのは前が見えなく、又、右足を下ろそうとするとブランとなり着地出来ないでいる。 | ||
| なんと不安定な!転びそうになりながら洗濯物を取り込んだ。 | ||
| お風呂を入れるのも、私がやっていたので浴槽を洗い、湯を入れた。 | ||
| (左手で身体を支え、動かない右手にスポンジを持たせ浴槽をなぞらせただけの掃除であった) | ||
| 先に、風呂に入り(服を脱ぐのにも一苦労、まして洗う動作に至っては・・・) | ||
| それでも、右半分を駆使し洗ったら、いつもの5倍の時間がかかっていた。 | ||
| 19:00頃、仕事に行ってた家内が帰ってきたので 「どうも、私の右半分を司っている私の魂が、戻っていないでいる!」と言ったら全く信用されなかった。 |
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| 明日は、免許の更新講習があるので車を借りる事にしていたが、「車でお母さんを職場まで送って行けないよ!」と言った。 | ||
| (まさか、冗談だろうと思っていたようである) | ||
| 長男には、「お父さん病院に行ったら?」と言われた。 | ||
| 「今夜、又、寝てみて、遊びに行った魂が戻って来なければ、明日病院に行ってみる」と 返事をした。長男は、怪訝そうな顔をしていた。 |
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| 6月1日(水) | (翌朝になっても、遊びにいった私の魂は戻っていないようである) | |
| ベットから起き、動かない右半分をひきづりながら、階段を下りるとブラーンと右足は宙に浮いた。 | ||
| しばらくすると、家内もおきてきたので「今日は、車を運転出来そうも無いので電車で行くよ。」と言うと、家内はビックリした様子で、「すぐ病院に行きましょう。」と言った。 | ||
| 家内は、看護師(兼ケアーマネージャー)である。それも、介護を必要としている専門のケアーセンターに勤めている。 | ||
| 私の言動がおかしいと思っていたのか、ピーンときたのだろう。 | ||
| 私は、「やっと信用されたか」と思った。この時、気がかりな事が他にもあった。 | ||
| 「6月15日の講話」※1 と 「九州一周を歩くイベント」※2それに、 「ヘミシング体験」※3である。 | ||
| ※1:「6月15日の講話」 社団法人 日本ウォーキング協会で、 毎月、第3水曜日に行われている「三水会」。 (九州を歩こう)と、題して話をする予定だった。 この夜、家内から連絡してもらい、別の人にお願いした。 |
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| 日本ウォーキング協会のホームページをご覧になりたい方は、下記へ http://www.walking.or.jp/ (九州一周浪漫ウォークも載っています) |
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| ※2:「九州一周を歩くイベント」 毎年、実施されている「九州一周浪漫ウオーク」と称して社団法人 日本ウオーキング協会が主催し、秋に行われている九州を歩いて回るイベント(約1300km/55日で)の本部長予定だった。 (家内から電話してもらった。先行き、不可能であろうと 言う事で交代となった) |
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| ※3:「ヘミシング体験」坂本政道氏の著書「死後体験」シリーズを読んで、モンロー研究所の公認されたのが日本にもあると言うことで、その体験するのに申し込んでいた。 (これも、家内から電話してもらった。キャンセルするしかなかった) |
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| 「でも、午前は免許更新講習があるから、病院は午後にしよう」と言った。 | ||
| 何回か、家内とやり取りした後、急遽、仕事を休んでくれた家内の運転で免許更新講習を受け、その足で午後、家から30分位の所にある(以前から不正脈で胸が締め付けられた事があって通院していた)病院で診察を受けた。 | ||
| 一通り問診した後「では、CT・MRIを撮りましょう。金属類は外して下さい。」と医師に言われ、撮影に入った。 | ||
| 丸いドーナツ状の機械の中に入れらギュンギュンというような音がして機械が回っているようであった。 | ||
| 撮影したものが出来上がり、再び呼ばれた。 レントゲンをみながら医師は、「脳梗塞ですね。右の脳と脳幹がそうです。即、入院して下さい。非常に危険な状態です。絶対安静にして下さい。」と、矢継ぎ早に言われ、救急車に積んである動くベットのようなものに乗せられ、集中治療室に運ばれ24時間の点滴を打たれた。 動く左手に打たれたものだから、何をするにも不自由この上ない。更に医師は、「ベットから出ないで下さいね。頭も動かさない事。」と言った。 「ここ一両日が山ですね。」ともでも言ったのか?家内はかなり動揺していた。 |
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| それでも、入院に必要なものを、とりに行ったのだから、気持ちの切り替えは、早いようである。 | ||
| 家内が連絡したのか? | ||
| 着替えを家内に手伝ってもらっていたら、長女、そして、追って彼氏が来てくれた。 | ||
| 突然、動けなくなってしまったのと、いきさつを話していると、やはり、言葉も素直に出てこないのに気がついた。昨日から、食事をとるとき、ご飯が、右の口の中に残る。又、ご飯が呑み込みずらい等の症状が出ていた。 | ||
| (運動機能障害に続いて、言語障害である。この時、記憶障害も出ているのに気がついていない) | ||
| 口ごもっている様な、口の左部分は普通に話したいのに右の部分は、その動きに付いて来れないでいる。話をしているとき、身振り、手振りや笑いが出ると身体も動くので長女に、「お父さん、首を動かさないで!」と何度も、言われてしまった。 | ||
| 真新しい、パジャマに包まれて、家内に心なしか感謝しつつ、気持ちよく寝ていると、尿意をもようし、果てさて、どうしょうと我慢していたら、看護師が、「小便はこれにして下さい。」と置いていった物を思い出し、「どこまで、記憶障害なのか?」ベット横に置くものの、なかなか出るものではない。 10代、20代と、5回ほど入院生活をおくったことがあったが、やはり、最初は出なかった。 |
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| ・長いので、2ケ月。この時は、脳外科(交通事故の後遺症で偏頭痛)。 | ||
| 気のう撮影というのは、厳しかったのを覚えている。(脊髄から注射し、空気を頭に送り、その空気で頭を広げて大きくしてから撮影する)というもの。 ・同じく、2ケ月でも、こちらは、外科(椎間板ヘルニア)(1ケ月、石膏ボードで身体を固められ身動きできなかった) |
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| (話が、それてしまうので、この辺で本題に) | ||
| (午前中に来ても、先生がいないのでは・・・・) | ||
| 運が良かったのではと、家内と話をしたのを覚えている。 | ||
| 点滴を打っている間、寝ては覚め、の繰り返しであった。 | ||
| お陰で、夜、何度も目が覚めてしまい、朝方までぼんやりし寝不足のような状態で入院2日目の朝を迎えた。 | ||
| 6月2日(木) | 右肩の付け根が、昨夜から、電気信号みたいな?(シナプス)モゾモゾとした感じが続き、肩を頻繁にすぼめたり・のばしたりして、ベットに横になっている間中、動かしていた。 | |
| 朝食を持って来てくれたヘルパーさんが、お椀の蓋やプリンのキャップなどを開けてくれた。 なんと、入院すると至れり尽くせりではないか!!(身体が不自由でいるのも忘れて・・・) |
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| ヘルパーさんに感謝し、なかなか動かない右手にスプーンを持たせ、(左手は点滴針が刺さっていて使えない)顔を、お粥の方に近づけ食事をした。 | ||
| 美味しい!病院食とは、まずいのかと思っていたら案外いける。 | ||
| 隣のベットの人は、喉から管でも入れられているのか、看護師に声をかけられても、声を出せない状態で、点滴を受けているのが、カーテン越しに伺えられた。 | ||
| 朝食後に、毎日、トイレに行き20分位かけて用を済ませていたので、この時も、トイレに行きたくなり、ベット内安静と知りつつも、看護師の目を盗すみ、点滴の支柱を押しながら(身体のバランスが悪いこと。フラフラで真っ直ぐ歩けない。また、脳みそが船酔いをしたみたいに気持ちが悪い事)トイレに潜り込み、慣れない動作でパジャマを降ろしウォシュレット付きの便器に腰掛けた。 つい2〜3日前までは、難なくできていた事がこんなにも不便で時間のかかるものかと思い又、 ベット内でトイレをしなくていいなーとの安堵感で、トイレ内の空間を楽しんでいた。 |
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| しかし、24時間点滴というものは、疲れる。 | ||
| ベットから出る事も出来ないし、身体を起こして座っていることもままならない。 | ||
| 看護師が来て「はい、横になっていて下さい。安藤さんは、安静にしていないとだめですよ。」と来る。 | ||
| 余談だが、 | ||
| 右手の肘の内側に刺した点滴が、この後、右手2回・左手2回と刺す場所が変わる。 | ||
| (動くので針が、血管から外れるのと、血管が硬くなって点滴が落ちていかないため) | ||
| 6月3日(金) | 朝10時頃、どうしたのか、急に、部屋を移動させられてしまった。 | |
| 5人部屋である。「どのベットがいいですか?」と、言われたので、窓の側が開いていたのでそこにしてもらった。 | ||
| 回診に来た先生に、「トイレには、自分でいきたいのですが」と、尋ねたら、 | ||
| 「部屋にあるトイレまででしたらいいでしょう。」と少し行動できる場所ができた。 | ||
| 有難い事である。ベット内で缶詰になっているよりかは、少しは身体を動かせれる。 | ||
| いつまでも、遊びに行ったまま戻ってこない、私の身体の右半分を動かしている魂が戻るのを待っていても私の肉体は今、不自由しているのだから何とかしないと・・・と、思うようになってきていた。 | ||
| 入院してから、動かない右半分を、何かにつけ振りまわしてきていたので、少しづつ動き出していた。 | ||
| トイレまでの移動を許可された事をいいことに、点滴の支柱を押しながら、いったり来たり、ネズミがウロチョロしているように室内を動き出した。 | ||
| でも、すぐに疲れてしまう。動かない右半分の筋肉が重りの様になっていた。 | ||
| それに、脳が、船酔いのように、頭蓋骨内で揺れているようである。 | ||
| 気持ち悪いー!! | ||
| ベットに横になっては、休み。また、動き出すという事を繰り返すことで、少しづつ慣らすことにした。 | ||
| 周りに、看護師がいない事を見計らって、そっと、前居た部屋を覗いてみたら、私よりも重傷な方が入っているのが見えた。 (周りには、更に大変な人が沢山いるものだー。のんびり、構えていては、いけない。) (頭の中では、あることをプランニングし始めていた。) |
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| 6月4日(土) | 家族が揃って見舞いに来てくれた。一般病室に移ったので家族もホッとしているようである。 | |
| 着替えと、身体を拭くのを家内に手伝ってもらった。 | ||
| (拭いてもらうだけでも、サッパリする。感謝・感謝) | ||
| 6月5日(日) | 右足の膝辺りの静脈が、膨らんできて(静脈瘤)痛いので、先生に診てもらったら 「湿布を貼っておきましょう」だった。 |
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| (後で、分かるのだが静脈にくっついている筋肉が、動かない状態になっているので血液が上に上がって行かないのではと、言われた) | ||
| それを裏付けるかのように、今は、血管が横に張り出してきている | ||
| (ズボンに当たると、痛い!) | ||
| 6月6日(月) | 一般病室に入ってから、同室の人が「これから手術ですよ。」と言う人が入れ替わりに入っては、術後、集中治療室へと移って行った。 明らかに、ここ数月間は自由に動けなくなるであろうなーと感じてしまった。それに、ひきかえ外見的には、どこも、悪くは見えない自分。さあー、また、リハビリ・リハビリ。 |
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| 6月7日(火) | 練習あるのみ | |
| 6月8日(水) | 練習あるのみ | |
| 6月9日(木) | 24時間点滴が、終わった。後は、1日2回(朝夕)の点滴でOKとの事。 | |
| 移動範囲も、談話室まで可能となり、早速と身体を動かし始めた。 | ||
| 歩くとき、重たい腕だが上にあげたり下げたりも加えた。 | ||
| 6月10日(金) | 廊下を行ったり来たりしていると、ちらっと見える入室者の様子から喉に穴を開けられ、管をとおしている人たちが多い事。 | |
| 終末人生を垣間見た感じであった。 | ||
| これではいけない、人間、健康で死ぬときは、コロッといくのがいい。 | ||
| 健康管理の大切さを、またまた、痛感させられた。 | ||
| 6月11日(土) | 両親が、弟に連れられて北海道から見舞いに来てくれた。 | |
| 実は、弟(埼玉県狭山市在住)の子が結婚するので、それに出席するので来ていた。 | ||
| 私の家の近くにいる親父の妹家族も来てくれた | ||
| (親より先にアウトになっているのではと、心配していたようである) | ||
| 元気な親(82歳と81歳)である。歩くスピードもシャキ・シャキして速い。 久しぶりの親との会話であった。口がきけるので、親も一安心していった。 歩く方は、日々のウロウロ歩きで、大分、動けるようになっていた。 話し方は、やはり、つっかえ・つっかえになってしまう。 |
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| 6月12日(日) | 風呂に入っていないこと、12日目である。頭がかゆいこと。 | |
| 先生に、お願いしてシャワーを浴びることを許可してもらった。ハアー・ハアー・ゼイゼイしながら、動きにくい右半分も使い洗い終わってベットについたら、バタン・キューである。 (動きたくないー。でも、サッパリしたー)この時から、移動範囲も建物内OKになった。 |
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| 6月13日(月) | 階段を上り下りし、別棟まで行動範囲を広げた | |
| (階段を上がるとき、右足が上がらないではないか。廊下を歩いていたときはそれなりに、動いていたのに・・) | ||
| 早速、右足を上げる動作のリハビリである。最初は、手を添えてやり一段、一段上り始めた。 | ||
| 休み・休みしながらでも、3階まで上がれた。 | ||
| (脳みそが回る。気持ちわりー) | ||
| 入院していた場所は、2階であった。 | ||
| 回診に来た先生に、「安藤さん、容体も安定してきたので、明後日、退院してもいいですよ!」と言われた。 | ||
| (おー!、これで頭の中でプランニングしていた事が実行に移せるぞー。) | ||
| 6月14日(火) | 一層、リハビリに熱が入ってきた。 | |
| 同室の人が、退院していった。この方も脳梗塞とかで右腕が、私よりも不自由であった。76歳とか言っていた。 | ||
| 6月15日(水) | 午後、診察を受けた。 | |
| 脳梗塞等にも、気をつけていたので原因は何ですかと尋ねたら | ||
| 「高血圧・糖尿病・たばこ・お酒・心臓病等が、主な原因となるよ。」であった。 | ||
| 思い当たる項目が私にあった。不整脈である。以前から(10代の頃から)医者にも、言われていたのである。 | ||
| 父も、私の子供も不整脈をもっている。どうも、遺伝的要素が大きいかなー。と思った。 | ||
| ちなみに、父は、それを防ぐ(脳梗塞)のに、毎日、朝晩、納豆を食べているのが、あとで分かった。 | ||
| (こればかりでは、ないだろうが・・・) | ||
| 私も、朝は納豆を食べているが・・・、夜も、とは!! | ||
| 更に、先生は、「あなたは、植物人間になる所だったよ!」とも言った。 | ||
| 脳幹が梗塞を起こすと、呼吸不全になり肺呼吸が停止し、食物も喉から通らなくなるとの事。 | ||
| だから、家族は、慌てて私に、「あれするな・これするな」と言っていたのか。納得!! | ||
| でも、お構いなしに、動いていたよなー(黙っておこーう) | ||
| 家内の運転する車で、家に帰ってきた。 | ||
| 帰り際、お世話になった看護師さんに挨拶をしてきた。皆さん、サバサバした人ばかりで感じよかった。 | ||
| 取りあえず、風呂を沸かし、いままで十分洗えなかった身体を擦ってやった。 | ||
| 脳みそが、何か動作をするとクラクラするのと疲れやすく、重い身体がそこにあった。 | ||
| 次回へ続く | ||